翌日は重い気分のまま仕事に出たがやはり気が乗らず、仕事が遅々として進まない。
予定の半分程も進まないので弟子達は先に事務所に帰して
俺は一人で遅くまで仕事したが結局捗らず、区切りを付けて事務所へと戻った。
ドアを開けると、真っ赤に泣きはらした顔の優子さんと晃が居た。
「・・・。」
流石になんと言っていいか解らず、黙って自分の机に座る。
そして、業務日誌をつけながら口を開いた。
「優子さん、お話はちょっと待ってて下さい」
優子さんがこくんと頷くのを確認し、次は晃に聞く。
「親方は?」
「もう休みました...」
「そうか...」
しばらくは俺の鉛筆の音と時計の針の音だけが事務所に響いていた。
日誌を書き終わり、一つ深呼吸をしてから優子さんに声を掛ける。
「外に出ましょうか。」
「いいえ、ココで良いです。」
真っ赤な目で俺を見つめながら優子さんが答える。
俺は晃に帰宅するように促すと、晃は拒否した。
また、優子さんも晃に居て欲しいと言うので、
俺は優子さんに向かって話し始めた。
俺は優子さんに再び詫びた。詫びるしか無かった。
優子さんの大ききな目から涙がポロポロと零れ落ちる。
しばらくの静寂の後、優子さんが嗚咽し始めると、晃が俺を睨みながら叫んだ。
「なんでなんです!優子さんをこんなに追い詰めて、
悲しませてまで オオカミ様の事を想い続ける必要なんて無いでしょう!」
俺は晃に向かい、オオカミ様への想いの深さを語った。
それは、優子さんに聞かせるためでもあった。
しばらくの間晃と口論するうち、ふと優子さんの様子がおかしいのに気付いた。
下を向いたまま、何かぶつぶつと呟いている。
晃も異常に気付き、優子さんを見詰めた。
すう、と優子さんが顔を上げた。
その顔を見て、俺の背筋に冷たい汗が吹き出る。
同時に、晃が擦れた様な声でつぶやいた。
「お、お狐様...」
しかし、彼女は先日あった優しげな雰囲気は微塵も残していない。
それどころか、明らかに強烈な怒りの波動を持って顕現した。
「なぜ、泣かせたの...」
彼女の厚めな唇から、地獄から響いてくるような声が吐き出された。
すうっと椅子から立ち上がる。
俺も晃も、恐怖で半ば腰が抜けたようになってしまっていた。
「優子は、私の分身(わけみ)...貴方なら受け止められるのに...」
かっ、と目を開き、俺に近寄ってくる。
「赦せない...赦さない...優子の心を踏み躙ったお前を...」
その顔は徐々に獣のものへと代わりつつ有る。
背中を丸め、力を溜めるのが見て取れる。
俺も、晃もその顔から目を離す事も、動く事も出来ない。
「!?」
彼女が一瞬声にならない程の呻きをもらした。
瞬間、表情が優子さんのモノに戻る。
その一瞬、電光石火で晃が彼女を抱き絞めた。
「駄目だ!優子さん!目を覚まして!」
叫ぶ晃。
しかし彼女は暴れ出し、晃の肩にがっと歯を立て喰らい付いた。
晃の白いシャツが見る見る赤く染まる。
「晃!」
我に返った俺が駆け寄ろうとすると、晃が叫んだ。
「来ないで下さい!」
晃は暴れる彼女を抱き締め、押さえつける。
そして、彼女の耳元で叫んだ。
自分が優子さんをどれだけ愛しているかを。
「お狐様、俺は優子の為なら命だって惜しくない・・
俺を殺しても構わないから、優子を放してやって下さい!」
ふ、と彼女の体から力が抜けた。
晃の肩から口を離し、晃の血で染まった唇で彼女が俺に向かって問うた。
「お前は、あの方を想い続けるのか...」
「・・・はい、俺はオオカミ様だけを想い続けます」
「そう...」
怒ったような、優しい様な不思議な微笑みを見せ、彼女が呟く。
「もし、その言葉、違える事有れば、また逢いに来るわ...必ず、ね」
晃の腕の中でがく、と崩れる彼女。
既にその顔は優しげな優子さんの顔へと戻っていた。
ただ一つ、晃の血で塗れた紅い唇を除いて。
三日後、念の為に入院した優子さんが退院した。
晃は親方の許可を貰って付きっ切りで看病していた。
花束を持ってお祝いに行った俺に、二人は照れながら
「結婚、します。」
と打ち明けてくれた。
俺は心から喜び、祝福した。
晃に促され、優子さんが俺の前に来た。
「○○さん、これからも、今までみたいに遊んでくれますか?」
「もちろん。俺達はいつまでも親友だよ。」
優子さんはにこっと微笑むと、背伸びして俺の頬にキスをくれた。
「私、○○さんの恋を応援しますね!」
その笑顔は、少しだけ、お狐様の微笑と被って見えた。
次の話:【不思議】邂逅の時【宮大工シリーズ16】
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