【不思議】神槌【宮大工シリーズ12】 の続き

オオカミ様が代わられてから数年が経った。


俺も仕事を覚え、数多くの現場をこなして自分でも辛うじて

一人前の仲間入りを果たす事が出来たと実感するようになった。


また、兄弟子たちも独立し、または職を変えるなどして

いつの間にか俺が一番の古弟子となった。


弟弟子も多くの者が入れ替わり、古くからのヤツは三人ほどとなった。


その中で、俺と一番息が合い、本当の兄弟のようになった晃は

かつてお狐様に憑かれて昏倒した男だ。




「でも、俺はお狐様を恨んではいないんですよ」


あの時の話になると、晃は必ずこう言う。


「確かに俺は憑かれたけれど、夢の中で見た彼女はとても寂しそうで、 

なんていうか、無理をしている感じだったんですよね。

だから、護ってあげたくなると言うか...」


ちなみに、あの時神主さんの奥様とお嬢さんは酷い目に遭ったが、

どちらも本当にお狐様の所為だったかは微妙である。


また、郵便受けに投げ込まれていた犬の耳と鼻は

神主さんがすぐに処分してしまったが、一件落着した数日後、

殺されたと思った飼い犬は無事に縁の下から発見された。



その後、俺もお狐様に憑かれそうになった事も有ったが

オオカミ様の少年のお陰で事なきを得、

その騒動の後で俺は神主さんの娘の優子さんと親しくなり、

時々食事やドライブをしたりする様になった。


彼女は国立大学出の才媛であり、長い黒髪を持つ美人である。


頭の良い彼女との会話は楽しく勉強になる事ばかりで、

優子さんと過ごす時間はとても楽しいものだった。



ある日、俺が事務所に帰ると優子さんが待っていた。


「お忙しいのにごめんなさい。 ちょっと○○さんにご相談したい事が有って...」


俺が書類をまとめるまで待ってほしいとお願いすると、親方とおかみさんにそんな事は明日でいいからとっととデートに行け、とむりやり押し出されてしまった。


なぜか晃が拗ねた様だったのが気になったが俺たちは車に乗って走り出した。


しばらく走り、食事をしようと行きつけの和食屋へ入る。


料理が運ばれてきてから、彼女が話を始めた。


「実は、最近夢にあの女性が良く出てくるのです...」


「お狐様、ですか。」


「はい...」


優子さんの話はこうだ。


ぽつん、と立っているお狐様をたくさんの鬼火や狐が囲んでいる。


そして、なにか罵倒するような言葉を彼女に投げていると。


余りにもたくさんの言葉が渦巻くために良く聞き取れないのだが、

その中からなんとか拾い出した言葉は「恥曝し」だとか「名折れ」等の言葉で、

どうも吊るし上げを喰らっているようだと。


また、明らかに低級な狐霊からもいいように罵られ、

キツイ瞳に涙を一杯溜めながらもキッと歯を食い縛り耐えているそうだ。


それを見ている優子さん自身も悲しく昏い気持ちになって

涙が流れ出す所になって目が覚め、枕を濡らしていると。



「・・・私には、彼女が悪い神様には思えないのです。 

元々、父が彼女のお社を放ったらかしていたのが原因で彼女が怒り、

祟って来た訳だし...それに、だれか命を落とした訳でもないし」


優子さんの言いたい事は解るし、

お社を修復していた時に現れた彼女の嬉しそうな様子を思い出すと、

彼女はとても悪い神には思えない。


あの時、抱きついた彼女を振り払った自分に対して取った行動も、

少々エキセントリックな人間の女性が好きな男に振られた際に

取る様な程度ではないかと思える。


あのまま襲われた時のダメージは人間の女性とは比較にならないと思うが...


「お父様にはお話したのですか?」


「はい...でも、どうすれば良いか解らないから様子を見るしかない、と」


俺は少々心当たりがあるので、少し時間を呉れる様優子さんにお願いをし、

その後は他愛もない話をして楽しく食事をした。



優子さんと食事を終わらせ、彼女を送り届けるために車を走らせていた。


なんとなく静かになってしまった車内の空気を紛らわす為に

カーステレオのラジオをつけようとした時、優子さんが口を開いた。


「今夜は、まだ帰りたくないな...」


俺は心臓が飛び跳ねる様な感触を抑えつつ、冷静を装って答えた。


「じゃあ、もう少し走りますか。」


「はい!」


優子さんが嬉しそうに答える。


俺は、夜景が綺麗に見える峠を目指してハンドルを切った。 


峠道を走り、夜景の見える展望台に辿り着く。


車を駐車場に停め、展望台へ向かう階段を上っているとき

優子さんが俺に身を寄せて来た。


「寒くないですか?」


「少しだけ...」


俺は優子さんにジャンバーを貸そうと脱ぎかけたが、

優子さんがそれを制して俺の手を握ってきた。


「○○さんの手、暖かいんですね」


絡めるように繋いだ優子さんの手がドキドキと脈打っているのが感じられる。


いや、俺の心臓の鼓動も激しくなっている。


階段を上りきると、目の前に広がる町の灯りは陳腐な表現だがまるで宝石箱の様だ。


「きれい...」


優子さんが呟く。


俺たちは手を繋ぎ、寄り添ったまましばらく無言で煌く宝石箱を眺めていた。



しばらくの静寂を破り、優子さんが口を開いた。


「○○さんは...想われてる方がいらっしゃるんですよね...?」


驚いた俺が顔を向けると、彼女は大きな瞳で俺を見つめていた。


「・・・そんな事、誰からお聞きになったんですか?」


「父から、聞きました。あと、晃さんからも。」


俺は答えに窮して沈黙した。


優子さんは、手を繋いだまま俺の前に廻り込んで来た。


「でも、その方は人間じゃない...オオカミ様なのでしょう?」


まっすぐに見つめて来る彼女の瞳から目が離せない。


そして、彼女の瞳に涙が浮かんでいる事に気付いた。


空いていたもう片方の手も繋いでくる。


華奢な手はひんやりとしていた。


「・・・はい。俺は、オオカミ様の事を愛してしまったようです」


自嘲気味に呟く。


やはり、現実に存在するかどうかも解らない方を想っている、

等と口にするのは憚られてしまう。



「そんなの、おかしいよ!」


突然優子さんが叫ぶ。大きな瞳から、涙の粒が零れ落ちている。


「だって、オオカミ様なんて、神様なんて現実に存在しない!

もし存在したとしても、人間となんて結ばれるワケない!

なんで、そんな方の為に貴方が苦しまなきゃならないの!

そんなの、お狐様にとり憑かれた晃さんと変わらないよ!」


俺の瞳をしっかりと見つめながら叫ぶ優子さん。


俺は驚きと、腹の底から湧き上って来る様な愛おしさに戸惑っていた。


「私は...私は○○さんが好き!初めて逢った時から、好きだった!

だけど貴方は、貴方は...」


あ~ん、と子供のように泣きじゃくり始めた彼女を両手で抱き締めた。


その瞬間は、彼女がこの世で最も大切な、護って上げたい存在だった。


泣き止み、しゃくり上げながら俺の顔を見つめる優子さん。


見つめ返すと、彼女はそっと目を瞑った。


俺は、彼女の唇に、自分の唇を重ねた。



そっと唇を離すと、はにかむ様な、満面の彼女の微笑みが有った。


俺も恥かしくなり、彼女をぎゅっと抱き締める。


「えへへ...」照れた様に笑い、彼女も俺の背中に廻した手に力を込めた。


その時、彼女の肩越しに誰かが立っているのを見つけた。


俺は優子さんを脅かさない様、抱き締めたまま人影に目を凝らした。


長い髪、切れ長の目、高い鼻梁、厚めの唇...


あれは、お狐様!しかし、彼女は今までとは違う穏やかな微笑を浮かべていた。


まるで、俺達を見守るような、可愛らしいとさえ思える笑顔...


その時、俺は気付いた。


お狐様の微笑みと、優子さんの微笑みがそっくりな事に。


瞳のキツさを除けば、まるで双子かと思うほど良く似ている。


そうだ、だから初めてお狐様に逢った時、

優子さんの姉と名乗られても不審に思わなかったのだ。


「○○さん、どうなさったんですか...?」


優子さんが俺の腕の中で声を出す。


その瞬間、お狐様の姿はふうっと消え去った。


「いや、なんでもないです。そろそろ帰りましょうか」


「はい。ちょっと名残惜しいけど...」


俺は彼女の肩を抱きながら階段を下り始めた。


彼女を家に送り届け、泊まっていく様に薦めてくれる神主さんに

明日仕事が早いのでと丁重に辞して家へ向かう。


日付変更線を超える直前に家に着くと、

家の前の空き地に停まっていた車から誰かが降りてきた。


「こんばんは。兄さん、遅かったですね...」


「晃、か。どうした、こんな時間に。」


「ちょっと、相談に乗っていただきたい事があって...」


俺はドアを開け、晃に入るように促した。


【不思議】妖狐哀歌 2/3【宮大工シリーズ14】 へ続く