我が家の裏手の山に、廃社となった八幡神社があります。



小さい頃にはそこでよく一人遊びをしていたものですが、これはそんな幼少期、薄暑の日のこと。




私は赤い小さなスコップを手に、さらさらとした砂を掘っていました。



やはり元は地域の住民の憩いの場であった事もあり、色々なものが出てくるものです。


ビー玉、ベーゴマ、プルタブ式のジュースの空き缶……。


ですが、その日は何か違いました。



僅かに柔らかい砂地を見つけたため、深く掘ろうと思い立ったまではよかったのですが、30センチくらい掘り進めた頃。ぽっかりと空間が開けたのです。


瞬間、私は腕を中に引き込まれるかのような思いがして、背筋を嫌な汗が伝いました。


穴に出た拍子に手が緩み、赤いスコップは穴の奥に消えていきました。


穴は、本社の柱の跡か何かでしょうか。



今となっては、何であったのか定かではありあませんが、とにかく恐ろしい思いがしました。



穴の底は深く、暗かったのです。心なしか、スコップが底に落ちる音も聞こえなかったようであります。ひょっとしたら地の底まで続いているのではないかと思うほどに。




あの時左腕を突っ張っていなかったなら、私は穴の底に落ちていたのかも知れません。





子供心に、ひどく印象に残った事件でしたが、何故だか当時の事は断片的にしか覚えてはいませんでした。




それから十年あまりが経ち、私は高校生になっていました。

夏休み。


ふとあの事件(というのも大袈裟ですが)を思い出し、廃社に行きたくなりました。



私はシャベルと軍手を手にすると、自転車にまたがり裏山へと向かいます。






目的は無論、あの穴を調べるためです。






もう随分昔の事ですので、場所も定かではないかと心配になりましたが、幸いにも記憶の中の風景と少しも変わりありませんでした。



鬱蒼とした木に囲まれたそこは緩い傾斜になっており、体重が重くなったせいか、一番上の本社があったであろう場所まで辿りつくのは一苦労でした。




ようやっと到着した私は、適当に見当をつけて掘り始めました。現在、誰の所有物なのかは解かりませんが、あまり人様の土地に長居するのも気が引けます。そう思い、私は幾分手を早めました。



三十分くらいが経った頃でしょうか。砂地に差し込まれたシャベルの先が、ぐしゃりと何かを押し潰しました。シャベルを抜き、軍手を嵌めた手で土を除けると、どうやら朽ちた木箱が埋まっているようでした。



私は何か宝箱でも見つけたような気持ちになり、シャベルの先で箱を抉じ開けました。


ばりばりと音を立てて開いた蓋を持ち上げてみれば、赤い金属が一片。



そう、中には記憶の隅に残る、赤いスコップが入っていたのです。




私はどこか嬉しくなりました。今となってはそれほどではありませんが、当時はずっと惜しく思っていたスコップです。




どういう経緯でこの箱の中に入ってしまったのかは解かりませんが、久々にこの山に来た甲斐はありました。私はズボンの後ろポケットにスコップを差込み、家路に付きました。


家に着くと、夕食の準備をしていた母にこのことを打ち明けました。


しかし、母は妙な事を言うのです。

「あら、あんたが山で無くしたのは、青いスコップだったわよ」

と。勝手口から大根を抱えて来た祖母も続きます。

「そうそう。●●君(私です)が山で大怪我して、病院に運ばれた時だねぇ。何日かして山に探しに行ったけれど、見つからなかった」


「――え?」




私は肌が粟立つ感を覚えました。確かに、小さい頃に大怪我をしたと聴いたことはあります。



ですが、山でなんて聴いた事がありません。


「ち、ちょっと待ってよ。何それ?」

「小さかったから覚えてないのかしら? 山で遊んでたら、あんた、ガラスか何かで腕を切ったのよ。偶然通りかかった人に倒れているとこを見つけてもらって、救急車呼んでもらったんだから」と母。

私の右腕には一筋の傷跡があります。今までは「あんたは小さい頃やんちゃだったから」と聴かされていただけで、その傷の由来までは知りませんでした。



どうやら、私は腕を怪我して(恐らく、穴を掘っているときでしょう)廃社の境内に倒れていたらしいのです。



どうもあの辺の記憶がおぼろげであると思っていたら、そういう理由があったわけです。



あの穴に腕が落ちた感覚も、何となく氷解しました。




ですが、どうも「赤いスコップ」の謎が解けません。



そう考えて二階に上がるとき、ふと思い立ちました。


赤は、私の血液の色ではなかったか――と。


私は腕に大怪我を負ったと母は言いました。ならば、大量の出血をしたことは想像に難くありません。


穴を掘っている最中の出血ならば、滴り落ちる血汁はスコップに落ちるでしょう。


消え行く意識の中で、私はその「紅いスコップ」を印象深く思ったのかもしれません。


しかし、なのです。ジーパンの腰から取り出したスコップを眺めてみれば、どうしても「赤い」のです。まさか金属が血で染まることなぞありえないでしょうし、どうも納得がいきません。



それに、木箱に入っていたのも気になります。



何か解かることはないかと、私は階下に足を運びました。



ふと目をやれば、台所には祖母が。母は買い物に出たようです。私は何気なく訊ねました。



「ばあちゃん、事故のあと、何か変わったこと、あった?」



「変わったこと? 変わったことねぇ……」



私としても漠然とした質問しか出来ないのは非常に歯痒いものです。ですが、記憶が曖昧であるため、こうするほかはありませんでした。



祖母はおもむろに口を開きます。




「あるとすれば、さっき言ったように私と一緒に山にスコップを探しにいったことくらいかねぇ。お母さんは駄目って言ったんだけど、こっそりね」


「それで? やっぱり見つからなかったんだよね?」


だってそれは今、私のズボンのポケットに――



「そうだね。でも八幡様にお願いすれば、ってことで、短冊をおいてきたねぇ。そう、箱に入れて」



「箱?」



ひょっとして、それは――



「あぁ、リンゴ箱を崩して、小さく作り直したやつに入れてね。ビニールに包んで」



嫌な予感が的中した。やはり、あの箱は私が埋めたものであったのだ。私は止むに止まれず言を継いだ。




「それで――僕はなんて書いたの?」


そう言った私は息をするのも忘れて返答を待ったが、祖母は


「さぁて、もう忘れちゃったねぇ」と言うと、土間の奥に消えて行ってしまった。




しかし、少しずつ記憶が蘇ってきた。




十年前のあの日。確かに私は荒れ果てた神社跡に向かうため、家を出た。




――そう、確かに青いスコップを持って!




なのに、何故私が発見した、私の埋めた木箱の中から、赤いスコップが出てきたのだ!?




私はどうにも耐え切れなくなった。



暮れなずむ夏の空を見上げると、まだ夜の帳が下りるには余裕がある。思うや否や自転車にまたがり、私はあの山に向けて車輪を回し始めた。



まだ間に合うはずだ。木箱はそのままにしてきた。シャベルもいらない。




祖母は、短冊はビニール袋に包んで箱の中に入れたと言った。ならば、運がよければ、まだ――。




私は山脚に自転車を乗り捨てると、山の中頃にある神社跡に足を進めた。




まだ、先程自らがつけた足跡も残っていた。いくらか柔らかな砂に足を取られながらも、打ち捨てた木箱に辿り着く。




木っ端が指に突き刺さる事もいとわず、私は箱の中を引っ掻き回す。指をふるいにして、さらつく砂をかき撫でる。




すると。









かさり、と指に無機質な感触が走った。






これだ。私はそれを掴むと、一目散に山を駆け下りた。何だか、もうこの場所にはいてはいけないような気がした。






倒れた自転車を起こして家に向かう途中、街灯に照らしてビニール袋を眺めてみれば、土で汚れているせいか、中の短冊が良く見えない。





ここで開けようか、と思ったが、手は土だらけで汚してしまいかねない。幸い、家はすぐそこである。私はペダルに力を込めた。



敷居をまたぐと、たちどころに台所に向かい手を洗う。そして瞬く間に階上へ。



ベッドに腰掛けると、私はビニール袋に手を掛けた。




一枚を破りとると、中にもう一枚。更に一枚。




結局五重に包まれていた。途中で足を止めたとき、外からでは短冊を判別できなかった来由はこれであった。





子供ながらに頑張ったものだと、何だかおかしくなった。


そして、短冊を裏返し、たどたどしく書かれた文字に目を落とす。





瞬間、私は凍りついた。







「はちまんさまへ














 ぼくの あかい スコップ かえしてください」