十年程前、親方の親友でやはり宮大工の棟梁であるKさんが病気で

倒れてしまった時の事。

 親方とおかみさんは急遽お見舞いに行き、俺は親方の代理で現場を取り仕切った。

 三日ほどして親方達は帰ってきたが、Kさんの所の手が足りなくて

非常に困っているので、俺が助っ人として行く様に親方から頼まれた。

 俺は自分の仕切っている現場を親方と晃を中心に引き継いでもらい、

地元から千キロ近く離れているKさんの所へと向かった。

kさんは非常に古風な親方で、弟子達も常時ぶっ飛ばされたり小突かれたりして
指導されているらしく、俺が事務所で挨拶した時にも皆おどおどした印象だった。

そして、Kさんから指示を受けていると言う弟子頭三人に仕事の現況を聞いても、
 今までずっと全てをKさん自身で決定してしまっていたので

弟子達はただ言われた事をやっているだけと言う状態で一向に埒が明かない。

 結局俺は医者と看護婦に睨まれながら三日間Kさんの病室に缶詰となり

現在の仕事の状況とこれからの方向性を相談した。

三日間も仕事にならない状況が続いたので現場はてんやわんやとなってしまった。

 俺はあちこちの現場を分刻みで飛び廻りながら指示をしたが、

助かったのはK親方が弟子達に叩き込んだ技術が非常に優れている事で、

指示さえすれば驚くほどの正確さと技量で仕事をこなしていく。

また、基本が完璧なのですぐに応用が出来るようになり、

メキメキと腕を上げていく。

 俺は最初の頃、厳しくも優しく仕事を教えてくれた自分の親方に比して

K親方は頭が固くてちょっと困った方だ、と思っていたのだが弟子達を見ていると、やはり本物の職人とは方向性を変えても間違いの無い指導をするものなのだと感銘を受けた。

俺も寝る間を惜しんで仕事をしていたので弟子達とはすぐに打ち解け、

彼らも俺の事を慕ってくれるようになった。

俺が助っ人に来て二週間ほど経った土曜の夜。

 現場から帰ってきて三人の弟子頭と酒を飲みつつ打ち合わせをしていると

二十歳になったばかりのA君が現場から帰ってきた。

「あれ?どうしたんだその顔は?」


A君の左目が腫れている。俺が問うと、彼は怯えたように答えた。


「いえ、何でも有りません...お先に上がります」


 俺達を避ける様にA君は帰っていった。


A君はちょっと太目で動作が鈍く、他の弟子達から少々バカにされているが

K親方の目が行き届いているので職場での苛め等は無い。

また仕事は真面目で一生懸命であり、欄間の細工や彫細工が芸術的に上手いので

K親方も目を掛けているらしい。


心はとても優しく、非常に動物好きで、巣から落ちたツバメを育てて

自然に帰したり、犬や猫が轢かれていると近場に埋めてあげたり、

生きていれば自腹で動物病院に連れて行きそのまま飼ったりし、

今でも数匹の犬猫を飼っていると。


最近では一年ほど前に山の中の現場で仔猫を拾い、

事務所から程近い自分の家で飼っているそうだ。


この猫も彼に非常に懐き、またすんなりとした姿の良い白猫で

時々事務所にも姿を見せてマスコットとして可愛がられている。

俺にも甘えるので抱き上げて可愛がっていても、

A君の姿が見えるとさっさと彼の所に行ってしまう所が小憎らしいが。


 俺はA君の顔の怪我が気になったので、弟子頭達に聞いてみた。

 彼らは明らかに何かを迷っていたが、結局知らない、と答えるのみだった。


 俺は事務所の中に有る空き部屋に借り住まいしていて、

弟子頭達が引き上げた後に布団を敷いていたらドアをノックするものが居る。

「開いてるよ」


 俺が答えると失礼します、と女の声がしてドアが開いた。

そこには、年の頃なら二十歳前後の透き通った白い肌の美女が立っていた。


「・・・どちら様?」


 彼女から常人と違う気配を感じながら、俺は誰何した。


「私はAの彼女の舞と申します。

 ○○さんにはいつもAがお世話になってます」


 「・・・もうA君は帰りましたよ。自分の家でしょう」


「はい、解ってます。私は彼の家から来たのですから...

 あの、実は○○さんにご相談したい事があって...」


 彼女の話はこうだ。

A君は高校を中退してここの弟子になったが、

その原因の一つに高校での苛めがあったそうだ。

そして、当時A君を苛めていた不良グループが最近またA君に近づいてきて、

金の無心をしたり彼を下僕の様に扱ったりしていると言う。

 気の弱い彼は逆らえず、また他の弟子達も親方が居ないので

どうしていいか解らずに手を出し兼ねているとの事。


「・・・なるほど、それで俺にその不良を何とかしてくれ、と。」


「いいえ、違います。

 それでは○○さんが居なくなったら元の木阿弥です。

 ○○さんは古武道の達人っておかみさんに聞きましたので、

 彼を鍛えて上げて欲しいのです。」


「なるほど。まあ、達人なんて程じゃないけどね。う~ん...」


 彼女はバッと三つ指を突きながら頭を下げ、


「お願いです。○○さんしか頼れる方が居ないのです...」


と瞳からポロポロと涙をこぼして訴えた。


「よし、解った。彼次第だと思うが、やってみるよ」


「ありがとうございます! ただ、私がお願いしたと言うのは

 彼に内緒にしてくださいませんか? 彼にも自尊心がありますので...」


俺が承知すると舞は俺に抱きついて礼を言った。

もう遅いから送ろうか、と俺が言いながら外に出ると、数匹の犬猫が待っている。


「みんな、A君の飼っている子達なんです」


そういうと舞は犬猫を引き連れて、何度も頭を下げながら帰っていった。

 翌朝俺はA君の家に行き、彼を叩き起こして稽古を始めた。

それから毎朝と仕事後に二時間ほどの稽古を行なうようになり、

その内他の弟子達も稽古に参加するようになった。


始めは半泣きだったA君も、だんだんと面白くなってきたらしく

進んで稽古するようになり、体も引き締まり、逞しくなって来た。

そして、K親方の退院の目処がようやくつき、

俺が助っ人に来てから三ヶ月程が過ぎた頃。

A君が例の不良グループを追い払ったと言う話を弟子達から聞いた。

そして、翌日全身傷だらけにしたA君が俺にバッと頭を下げ


「ありがとうございました!」


と礼を言った。


そして、K親方退院の日。

 俺の親方もお祝いにやってきた。

K親方は俺の手を握り、


「お前さんのお陰で、本当に助かった。ありがとう」


と深々と頭を下げてくれた。

そして俺の親方に向かって礼を述べ、

二人の親方は涙ながらにガッチリと手を握り合った。

 三日後、引継ぎを終え盛大な送別会をしてもらった俺は親方と一緒に帰途についた。


 少し走ると、道端で女性が手を振っている。

 車を止め、窓を開けるとそこには舞が立っていた。


「○○さん、本当にありがとうございました。」


 舞は涙ぐみながら礼を言った。


「また、遊びに来てくださいね!」


 「ああ、また来るよ。元気でな」


 俺は舞のキスを頬に受け、ちょっと照れながら車を出した。

ふとバックミラーに写る舞を見ると、そこには舞の姿は無く

一匹の白猫がしゃんと背を伸ばして座っている。

そして、その背後に犬と猫が数匹控えていた。

ああ、やはりあいつだったか、と思いクスリと微笑う俺に

親方が質問のマシンガンを浴びせてきた。


「まあ、ゆっくり話しますよ。」


 親方に答えながら、俺はこの土地での充実した三ヶ月間を脳裏に想い返していた。