【不思議】代替わり【宮大工シリーズ8】 の続き

お伊勢参りの翌年、梅が開き始める頃。 


山の奥にあるお稲荷様の神主さんから、お社の修繕依頼が入った。


そう、弟弟子の一人が憑かれたあのお稲荷様の社だ。


親方に呼ばれ、

「まあ、おめぇにやってもらおうか。」

と任される事になった。


とりあえず久しぶりに様子を見に行くと、昨年の台風で結構痛んでいる。


一通り見積もって、一休みしようとお社の縁に腰を下ろすと左横に女が座っていた。


俺が座った後から座ったのではなく、俺が座った時には既に女が座っていた。


もちろん、俺が座る前には姿など見えなかったし、

境内には俺以外の誰も居なかったはずだ。


驚きはしたが、とりあえず気付かない風を装って直視せずに様子を見る事にした。


俺も女も何も喋らず、ただ時間だけが経過していく。


どれほど経っただろうか、女がつ、と立ち上がった。


長い髪が風に揺れているのが視界の端に映る。

女が俺を見下ろしているのが気配で感じられた。


どうやってこの状況から脱するべきなのかと考え始めた時、

鳥居の向こうに人影が現れ、こっちに向かって声を掛けてきた。


「やあ、○○さん!ご苦労さん」


このお社の神主さんだ。

俺が一瞬あちらに気を取られた瞬間、女の気配は無くなっていた。


ふう、と大きく息を吐き立ち上がる。


神主さんが一人の女性を連れてこちらへやってきた。


連れの女性は神主さんの娘さんだそうで、長い黒髪の中々の美人。


以前、お稲荷さんの祟りの一件では交通事故で入院していたので今回が初見だった。


しかし、彼女は父親から話を聞いていて俺の事を良く知っているようで、

親しげに話し掛けられた。


その後、本社に移動してからとりあえず見積もりを説明する。


神主さんは前回の事で相当懲りているらしく、


「キミに任せるからお稲荷様が満足するように仕上げてください」


と言ってくれた。


それでは、と失礼しようとするともう夕方だから夕食でもと引き止められ、

親方に叱られますからと言うと神主さんはウチの事務所に電話して親方から

「今日は直帰で良い」

との許可を取り付けてしまい、結局夕食をご馳走になる事に。


その日は娘さんが腕を振るい、とても美味しい家庭料理をご馳走になった。


神主さんご夫婦は食後にいつの間にか俺と娘さんの二人を残して退散してしまい、 

娘さんと俺は二人で遅くまで話しこんでしまった。 

 


 十一時を廻ってしまった帰り道。


俺が山際の道を急いでいると、左手の森沿いに人が手を上げているのを見つけた。


車でもエンコしたのかと思い、人影の前で車を止める。


ヘッドライトに浮かび上がったその姿は、髪の長い女だった。


瞬間、全身総毛立つ。


人では無いものの様な気がしてそのまま通り過ぎようかと思ったが、

もしホントに困っているのなら放っておく訳には行かないと

思いなおして車を停めた。


助手席側の窓を少しだけ開け、

「どうかしましたか?」

と声を掛ける。


「ちょっと置いてけぼりにされちゃって...」

ハスキーな声で女が応える。


ああ、人間だったかと胸を撫で下ろして

「良ければお送りしましょうか?」

と聞くと


「良いんですか?じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます。」

と乗り込んできた。


気の強そうな切れ長の瞳、つんと上を向いた形の良い鼻、

少々厚めな紅い唇、きゅっと尖った顎。


乗り込んだ女の顔を見た俺は、その美貌にちょっと驚き見つめてしまった。


「私の顔に何か付いてます?」

小首を傾げながら女が聞く。


彼女の甘ったるい体臭が鼻に付く。


普通の男ならイチコロでやられてしまうのだろうな、と考えながら

「いや、貴女の様な美人を置いてけぼりにする男が居るなんて、

と感心したんですよ」


と平静を保ちつつ答えた。


「まあ、お上手」

唇に手を当てて、コロコロと笑いながら女が答える。


切れ長の瞳が俺を見詰めているが、俺は運転に集中して気付かないフリをした。



この視線、どこかで感じた覚えが有る。それも、ごく最近...?


おっと、彼女の行き先を聞かなければと思い出し聞いてみると、

なんと今辞したばかりのお稲荷様の神主さん宅だとの事。


俺が驚くと、彼女も神主さんの娘だと言う。

俺がさっきまで談笑していたのは、彼女の妹だそうだ。


とりあえずUターンして今来た道を帰る。


そして神主さん宅に着くと、

彼女は「またお会いしましょう」とウインクして家の中へ入っていった。


なにか、どこかに違和感を覚えながら俺は家路を急ぐ。


しばらく走り、先ほど彼女を拾った辺りまで差し掛かると

またも人が手を上げて立っている。


一体今日はどうなってるんだと思いつつ車を停めてみると、

そこにはなんとオオカミ様の社で会ったあの少年が立っていた。


助手席側の窓を開けると、少年は屈んで顔を近づけて


「努々、惑わされませぬ様...」


と言い、助手席に何かをポトっと置き、さっと森の中に姿を消してしまった。


俺はしばらく呆けていたが、彼が助手席に置いていったものを

手に取ってみるとそれはオオカミ様のお守り。


ハッと気が付き懐を探る。

しかし、そこにはいつも身に付けている筈の

オオカミ様のお守りが入っていなかった・・・・。

家に戻ってから、あの少年から貰ったお守りを開けて見る。


中には、艶やかな一房の黒髪。


確かに、俺のお守りだ。

なぜ、いつの間に無くなっていたのか。


そして、なぜあの少年が持っていたのか。


混乱しながらも、考えを纏めて行くうちにあの時感じた違和感の正体が閃いた。 

神主さんのお子さんは、一人娘のはずだ!

と言う事は、山際で拾った切れ長の瞳の美女はだれだ!?


しかし、確かに神主さんの家に送り届けたし、普通に家に入って言った。 

俺は布団の中で考えながら、いつの間にか眠ってしまっていた。


・・・俺は見たことも無い大きな神社の境内に居る。

その広さも、建っているお社の巨大さも驚くほどだ。


大木の根に腰を下ろし、境内を歩くたくさんの巫女や

神官の姿をボーっと見つめていると、

大きな鳥居を潜ってあの少年が歩いてきた。


俺に気付く風も無くお社に近付いていく。

すると、幾つも有る戸の一つが開いて見覚えの有る艶やかな黒髪が顔を覗かせた。 


「オオカミ様!」

 

俺は叫んで、立ち上がろうとした。

が、声も出ず、身体も動かない。



少年がオオカミ様に話し掛けているが遠過ぎて声も聞こえない。


なんとか動こうともがいてみるが、辛うじて手指の先が動くくらいだ。


俺は動く指の先に全神経を集中し、動け動け動けと念じていた。



すると、なんとか腕までが動くようになった。

丹田に気合を集中して呼吸を錬る。


「ふっ!」

気合を入れ、一気に立ち上がると全身が辛うじて動くようになった。


ノロノロと足を出し、オオカミ様と少年が話している方へ歩き出す。


通り過ぎていく巫女達が不振気に俺を注視するが、お構い無しに歩みを進めた。


果てしなく長い距離を徐々に詰めていくと

ようやく二人の話し声が聞き取れる程の距離まで辿り着いた。 


「・・・ありがとう。貴方には苦労を掛けますね。」 


鈴の鳴るような澄んだオオカミ様の声が聞こえる。


俺はいつの間にか涙を流していた。 


「では、これをお渡ししておきます。」 


少年がオオカミ様に何かを手渡す。


ああ、あれは銀の髪飾りだ。


少年は約束を守ってくれたのだ。


オオカミ様はそれを受け取ると、胸に抱くようにして手を交差させた。


オオカミ様の瞳から、涙が流れるのが見えた。 


「しかし、あの方は惑わされないでしょうか?人は弱い者ゆえ...」 


少年が呟く。


「あのひとは...強く、優しいひとです。

人ゆえに、迷う事は有りますが、あの方が惑う事は有りません。」


オオカミ様が静かに、ハッキリと答えるのを聞きながら

俺の意識は闇に落ちていった。


翌朝目を覚ますと、俺は夢の内容をもう一度反芻した。


そして、親方に電話を入れ、直接神主さんの家へ向かう。


【不思議】少年の憂慮2【宮大工シリーズ10】 へ続く